ラストワン!
諸事情ありまして、体感できる夏休みがあと一日しかないという状況。
二ヶ月間、夏休みらしい夏休みを、ポカリと共に(笑)過ごさせていただきました。しんげんは、普通の女のこに…ではなく、学生に戻ります。
まあ、今日はまだ夏休み気分なので、お出かけの予定もなくて、時間はたっぷりあるのでブログ更新。
まあ…鬼のいぬ間になんとやら、ということでございます。
それにしても昨日のサプライズ。
びっくりした…
ビックリしすぎて、始まった瞬間にバンザイ、
終わってちょっとボーッ。
いいもの観せて頂いて。
で、今日の本題。
できれば夏休みのうちに書いておきたかった。
だって夏休みの宿題の定番、
「読書感想文」ちっくなことだから。
不思議なもので、書かなければいけないうちは、毎年辟易していた感想文なのに、その義務から解放されたら
「書こうかな」って気になるのでありまして。
ふっしぎー。(誰かさんの真似。なーいのよねーのひと。)
まあ、本紹介というか、感想文というか…
といった体のものでありますが。
そういえば私わかりました。
長暇(寸暇の反対の言葉がわからないので、作ったのです)
とは、人を詩人にするものであーる。
ということが。
以下、センチメンタルになっていたら笑ってください。
本を読みました。
たくさん。
(WEB本棚にちょっとだけ入れました。もっと題名メモとかしとけばよかったと後悔しました。)
印象に残った本たちのうち、一冊について。
ちなみに、読む人によって受ける印象は違うと思うので、
「これは私の見解です」という意味を込めて、
語尾を「~だと思います」という風にすることが多く、
それが目に付く部分もあるかもしれませんが、
読み飛ばしていただけると嬉しいです。
「その日の前に」という、作品。
著者は重松清氏。
この本は、「その日」を迎える人々の心中について書いた短編小説集。(と、私は読み取りました。)
ちなみに「その日」とは当人とっては「この世から消えてしまう日」のことで、
近親者にとっては、「日常の中からその人だけ消えてしまう日」
のことを指すのだと思われます。
各短編ごとに、「その日」を迎える人、「その日」を迎える人を見守る人のお話が書かれています。
前の短編の登場人物が次の短編に出ているという、特徴も持つ、
オムニバス作品でもあるようです。
そして今回は、本を読み勧めていく中で印象に残った言葉についての感想で、本全体の感想文代わりにしようという…(笑)
なので、以下は、本からの引用を含みます。
一つ目。
『記憶が薄れて、揺らいで、微妙に事実と変わっていくのが、神さまが人間に与えてくれたせめてもの優しさだったら、少しだけ嬉しい。』
ほほう。と思いました。
そうだよねえ…
生きていくうえで、思い出したくもない苦い記憶ってありますね。
やっぱり、どうしても、人生は上手くいくことばかりではないと思いますし。
そういう記憶も、
それを体験してから年月がたっていくと、
ふと懐かしく思い出すことが出来るようになることもある。
言い換えれば、(現在の自分にとって)ある程度都合の良いように記憶を修正しているということだ、とも言えると思われる。
こういう風に、記憶を、自分でも意識しないうちにちょっとずつ、
ちょっとずつ変えていくことができて、
それでいて記憶が変わっていくことを罪悪とは思わない、
これが神様のおかげだとしたら、やっぱり嬉しいことですもん。
たぶん。
少なくとも自分にとっては。
「昨日と変わらない日常。ただ一つ、あの人がいないことだけが違う。」という、たぶん辛い出来事を体験すれば、
きっとしばらくは思い出したくないと思う。
だけど、いつか、
時間が経過したら、その思い出を語れるようになることって、
懐かしく思い出せるようになることって、
素敵なことだと思う。
まあ、絶対に思い出したくないこともありますが。
たぶん、時間がたってからちょっとでも懐かしく思い出すことが出来る記憶と、そうでない記憶の違いというのは含まれている感情の違いであるような気がする。
前者は、その記憶の中に、いい感情(私が思うに、例えば、すき、とか、かわいい、とか、かわいそうとか。)
があって、
後者は、その中にマイナスの感情(例えば、憎悪とか。)しかない感じがします。
感情の中に、いいものが含まれていたら、
せめてものご褒美として、時を味方につける術を与えてくれるという。
で、後者のように、いいものがなかったら、神さまはご褒美をくれない。
そんな感じでしょうか。
…ここら辺の考え方に、私のにわか詩人度合が表れていると思われます(笑)
そして二つ目の引用。
「悲しみは深い。けれど、不安とは違って、そこにはちゃんと輪郭がある。ありかがわかれば、それに触れないようにすることだって、できる。」
この言葉は、
末期がんの妻を持つ夫の言葉でして。
告知前の宙ぶらりんの状態と、告知後の、
どうにもならない諦めとを対比したせりふだと思われます。
告知後の、何もかもがハッキリした状況だと、
その事柄さえ意識しなければ一日一日を、
日常の中の一日として捉えられるという心情を表したものかと。
これも納得。
まあ、私が当事者になった場合を考えると、
悲しみに触れないようにして生活していくことも出来そうにないかもしれませんが。
悲しみが、頭の先から爪の先まで一杯になってしまったら、
触れないで生活していくことなんて出来ないなあ…。
まあ、こんなひねくれたことを書いたものの、
端的な言葉で二場面の心情を対比させたこの部分、
すごく心に残りました。
このほかの部分も、淡々としているけど、
ドキッとさせられる部分があったりして…。
長くなる(もうここまでで十分長いけど)から書かないけど、
他にも色々考えました。
某局のドラマじゃないけれど、
「一番大切な人は?」とか、
日常について、死について、愛について…などなど。
これらについての考えの一つを、
言葉にして示してくれる素敵な本を読めて、
非常に有意義な時間を過ごすことが出来ました。
感想文終わり。


最近のコメント